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書芸にかける想い


~生(き)の線により、いのち、心、魂を表し繋げる書芸を求めて~



書芸×書道


書芸の本質は、生(き)の線にあります。 人が無心有心に生み出す線は、書き手のいのち、心、魂の在りようを表す、この宇宙で唯一無二の線であり、書芸はその線をベースとした芸術です。

書芸と書道のちがいは何か?


書芸と書道のちがいは何か?とよく聞かれます。

書芸においては、文字を技巧的に美しく書くこと以上に、いのち、心、魂の在りようを表すことに重きが置かれ、そこが、伝統的な書道文化を内包しつつも、お習字や技法重視の現代書道とは一線を画すところです。
書道が相撲なら、書芸は総合格闘技のようなものと思っていただくとよいでしょう。
伝統書道では、毛墨を用いて文字や言葉を紙に書き表しますが、書芸においては用具用材の制約はなく、内容も文字から筆線によるイメージアート表現まで自由。そこには筆書作品はもちろんのこと、書芸術をベースとした立体作品やビデオアート作品といったものも含まれることになります。


書芸は他のさまざまなアートジャンルともシンクロしています。

たとえば長谷川等伯の『国宝・松林図屏風』のように、松林を描きながらも描き手の心象風景を表しているような作品は、水墨画であると同時に書芸作品でもあるわけです。 書芸とは、このように、生の線をベースとした内発的な芸術活動を通して、未知の自分と遭遇し、国、文化、言葉のちがいを超えて世界の人々と交感する中で、宇宙の真理を探り求めていく芸術なのです。

書芸についてもっと詳しく!
>> 書芸とは


「生の線」との出会い


かく言う私も、書道を始めた当初は、ひたすらお手本をみながら書く手習いに勤しんでいました。しかしその後、さまざまな書道の古典と出会い、美しく整った書ばかりが良い書ではない、ということに気づかされます。

10代~20代のころは一晩で100枚は書くほど古典臨書に明け暮れ、中でも特に影響を受けたのが、北魏の楷書、書の革命児と言われた顔真卿(がん・しんけい)の書、明清の大家・傅山(ふざん)の書でした。

傅山はその書論の中で「巧なるよりも拙なれ、媚なるよりも醜なれ」と述べています。上手くあるよりも下手クソであれ、媚びるよりも醜くあれ、と言っているわけで、まさに書の本質を見抜いた達見であると思います。対して、現代にみる書の多くがその言に逆行し、書が本来持つ力を弱めてしまっているのは大変残念なことです。

書道の世界にどっぷりとつかり、それまで漢詩作品ばかり書いていた私が、文字によらない筆線によるアート作品を書き始めたのは20代半ばのことでした。

当時、漢詩による行草作品を得意としていたのですが、一般の人たちに全く読めないような書の作品があるのなら、文字を書かない筆線による表現というものもあってもよいのではないか、と考えると同時に、「文字の制約を離れて、もっと自由に書きたい」という思いも相まって、文字性から離れ、筆の趣くままに書き表してみたことがキッカケでした。

その作品を当時の書の師匠に見ていただいたところ、「いいものは、いいんだ!」と絶賛いただき、高い芸術的鑑識眼を持った良き師に恵まれたことを、いまも深く感謝しています。

しかし、文字を書かない抽象による表現世界には頼るべき規範は無く、あまりにも無限であったため、その後さらに暗中模索の日々が続くことになりました。その上、文字を書いた書道作品であれば評価もされ、ときに買い手もつきますが、抽象作品となると、さて、何なんだ?ということになって、なかなか評価もされず作品も売れない。求める方向に間違いはないとは思いつつも、誰にも分からない、ましてや自分さえ分からない世界を求め続けることは、真っ暗闇の中で微かな光を探し求めるほどに心細いものでした。

齢100歳を超えられた世界的美術家の篠田桃香さんでさえ、「若いころは根無し草、なんて言われてました。」と語っておられましたが、未知の世界に挑むとは、そういうことなのだろうと。

そんな私に大きな勇気を与えてくれたのが、生涯を持つ子どもたちによるワークショップでした。
彼らが書いた、文字によらない筆線で表された表現世界の、なんと生き生きとした生命力に満ち溢れていたことか! これまで味わったことのない感動が、心の底から湧き上ってくるのを感じました。彼らの作品が、暗闇の中であがき続けていた私に、一条の光を投げかけてくれたのです。

それは、「書芸術の本質は、巧みで美しいとされる線や形にあるのではなく、『生の線』にあるのだ」という思いが、私の中で信念へと変わった瞬間でした。




FIFAワールドカップ公式ポスターの制作により得たもの


ただそう悟ったことで心の霧がすっかり晴れたかといえば、中々そうはいきませんでした。
抽象作品にあっては相変わらず暗中模索の世界。そのうえ作品も売れない。自分の求める方向に間違いはないと確信しつつも、悶々とした日々が続きます。こんなことをしていて、自分は一体どうなるのだろうと・・・

そのとき、一つの大きな転機が訪れました。2002FIFAワールドカップ公式ポスターの制作依頼を受けたことです。サッカーコートを筆線で描く仕事で、文字表現ではないところで書による筆線表現を活かすことのできるビッグチャンスでした。しかもポスターは世界中に貼られ、全世界の人々が目にすることになります。

このポスター制作は、韓国のアーティスト・ビョン・チュー・スック氏とのコラボレーションで、共に一つの作品を創り上げたことが、のちの『筆線で響き合う』という書芸の重要コンセプトともなりました。
このポスター制作を機に、広告デザインの世界でも、文字によらない筆線アートを起用いただく機会に恵まれます。ボートが疾走するイメージを書き表した「福岡SG全日本選手権」ポスター、音の流れを書き表した、世界的音響メーカー・マランツのパンフレット、バイクの軌跡を書き表したハーレー・バイク広告、世界最薄のノートパソコン、ASUSのプロモーションムービーへの起用といったものがそれです。


共に響き合う、芸術的創造の場「SOGEN書芸塾ARC」


私には強い味方がいます。それは主宰しているSOGEN書芸塾ARCの塾生たちです。
彼らの情熱や成長が、いま私の活動を強力にサポートしてくれています。塾生というよりも、共に学び求め合う同志といったほうがいいかもしれません。

以前、書芸塾のアートクラスで、雑巾を投げて表現した塾生がいました。アートなのだから何をどうしようが自由なわけですが、そのとき戸惑いを隠せない自分がいました。

「書芸教室なのに、雑巾を投げられたら、教えることなど無くなってしまうのではないか。わずかとはいえ会費をもらってやっているからには、やはり、自分が教える立場にいないといけないのではないか・・・」そんな疑念が頭をよぎります。

だが、アートは自由なはず。やってはいけないことなど無いのです。 その出来事を通して、「ああ、自分はまだ、書道という枠に、筆で線を書かなければ書ではない、という思いに囚われていたのだ」ということに、あらためて気づかされたのでした。

そこからSOGEN書芸塾ARCは、さらなる進化発展を遂げていくことになります。 用具用材は何でもOK。毛筆にかぎらず、木の枝や草、ティッシュペーパー、空き缶、ペットボトル等、何を使っても良し。線を書かずに、針金や糸を使って表現してもOK。

現在、ARCは「いのちのリズムを生の線にのせて表現する中で、共に響き合う」というコンセプトのもと、さらなる成長を続けています。

2010年に『響生』と題した初の書芸作品展を開催、2011年には大地の芸術祭の舞台ともなっている新潟県十日町市でイベント合宿、2012年には『日韓書芸交流展~文字抽象』をソウルで開催し、韓国のクリエーターの若者たちと友好を深めるなど、その活動の場は教室の中だけにとどまりません。

国や文化のちがいを超えて、書芸を通して世界の人々と響き合いたい! それがSOGEN書芸塾ARCの夢であり、願いなのです。


SOGENの夢


SOGENには二つの大きな夢があります。 一つは、自らの心を解き放ち、筆線により自身のいのちの波を表していく中で、宇宙自然と繋がるような作品を生み出していくこと。 一つは、書芸を通して世界の人々のいのちの波を繋げていくこと。 その想いは、書芸塾のスクール運営はもとより、講演レクチャー、書芸パフォーマンス、書芸ワークショップといった、SOGENのすべての活動の根底にあります。

夢は大きく果てしなく! これからも命尽きるまで、SOGENはその夢に向かって歩み続けてまいります。



※SOGENが自身の体験を通して語る講演や執筆活動も行っております。 SOGENへの執筆、講演、出演依頼についてはお気軽にお問い合わせ下さい。

東京の映像書道パフォーマンス日本一の書家と書道家。書道看板の制作



 

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