
写真・・・晩年の新井狼子(戸田市文化会館サイトより転載)
新井狼子(あらい・ろうし)の書とはじめて出会ったのは20年ほど前・・・
ある書の雑誌で狼子の書が特集されていたのを見てのことだった。
最初、狼子を、名前に「子」がついていたこともあって、女だとばかり思っていた。
スゲ~女がいるもんだ、自分の名前に「狼」と付けるとは・・・
その凄まじいばかりの書に、圧倒的なインパクトを受けたのをいまでも覚えている。
狼子が男であることを知ったのはその後のこと・・・。
狼子は「ムゲンカイ」という無党派の書のグループを主催しており、
晩年、そのグループ展の会場で氏の姿を見かけたことがある。
まさに老いたる狼の風貌だった。
声を掛けようか迷ったが、結局、掛けずじまいに終わった。
その狼子が昨年の1月に亡くなり、このたびムゲンカイの友人より、
狼子遺作展の案内をもらったので、今日、戸田市文化会館まで見に出かけてきた。
ここまで自己放下し得た書というものを久々に見た。
自己の中の欲得を極限まで捨て切った狼子の書。
狼子は、その名の通りの野人であって、既存の書壇とはかけ離れた
ところで自己の書を求める生涯を貫いた。
狼子にとって、世俗的な名声や富裕は興味のないことだった。
唯一、おのれを捨て切るために、書を生涯書き続けて死んだ、まさに
一匹狼・・・それが狼子である。
世に書家は腐るほどいても、芸術としての価値をもつ書を書ける者など
まずほとんどいないといった今日、狼子の書は芸術作品としての光を帯びている。
井上有一は有名だが、今日、狼子の書を見たかぎりでいえば、
狼子の書のほうが遥かに広がりと深みが感じられるように思う。
狼子の書は、近現代の書道史の枠組みを越えて、美術史に残る
価値あるものとなるだろう。
もっと早くこの展覧会を見れていたなら、1月に出した拙著にも
きっと狼子のことは書かせてもらったはずだ。
だが、そんな狼子の書を見て、素直に感動できない自分がいるのはなぜか。
自分の心が純粋ではないから・・・なのだろうか。
狼子の書はまるで厳しい修行を重ねる修験者の書を見るかのようだ。
決してなごみ安らぐ書ではない。見る者にも厳しく自己放下を
迫るかのような、凄まじい気迫に満ちた書だ。
だから半端に生きている自分など、「お前、そんなんでイイんかい?!」
と喝を入れられているようで、何やら少し自己嫌悪のような気持ちにさせられるのだ。
狼子のスゴみある書に圧倒されつつも、自分は狼子とはちがう、
自己滅却へのこだわりさえ超えたところの、自分なりの表現世界を
目指していきたい・・・と、このとき意を新たにしたのだった。
書道家/書家 SOGEN / 平野壮弦
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