五料庵(マコー株式会社様保養施設)
群馬県安中市松井田町五料の山中に佇む、書院造りのすばらしい建物と贅沢な空間。
これより、こちらに飾っていただく書作品の制作に臨みます。




《備忘録》
いま思いついたのですが、色んな場所に色んな作家の作品を飾るのが定番ですが、
同じ場所に色んな作家の作品を取っ替え引っ替え飾って、空間がどう変わるかを
見るのもオモシロいんじゃないかと。
たとえばこの建物の床の間。アメリカの大学教授の友人は、狂草が合うと言った。
書家、現代美術家の山本尚志さんの新作「ナカマ」を飾ってもオモシロイかもしれない。
そうなると、場に合わせて作品をつくるというよりも、作品が場を仕切るカタチになりそうだ。
作品本位でつくるのと、飾られる場や空間を意識してつくるのでは、表れてくる
ものが違ってくるだろう。また飾られる時と場により、作品は違って見えてくるものだ。
つまり、作品自体も不変ではなく、飾られる時と場、鑑賞者により変化していく。
そういった変化も含めてたのしみ、味わうのが、アートなのかもしれないと。
あと思ったのが、デザインは、ターゲットとなる多くの人たちに、ある一定の同じ
イメージや印象を抱かせる役割があるのに対し、アートには、見る人ごとに異なる
イメージや印象を喚起させる働きがあるのだということ。だから一目見て、
うん、分かった、で終わりの作品や、あらステキとみんなが誉めそやすような
作品は、芸術としては浅く薄っぺらい。また逆にデザインにおいては、見る人ごとに
解釈や印象が異なるような多次元的な芸術性は、まずもって不要なのだということ。
建物の中に作品を飾るというのは、建物という人工物の中に、作品という人工物
(つまりアート)を飾るということで、どちらも「物」なわけですが、それらは
ただの物質ではなく、人の手が加えられ、人工的に生み出されたことで、人の精神性、
もっと言えば霊性が込められ、どちらも特有の波動を出しながら干渉し、響き合って
そこにある。それを人という霊性を宿した高等生物が目で見、肌で感じ取る。
それが、その時、その場で、人が芸術作品と出会い、芸術を味わう、ということ
なのではないかと。
所以、芸術の真髄は、ビジュアル的なオモシロさや奇抜さにあるのではなく、
その作品がいかなる霊性を蔵しているかにあると。
書芸アート専門ギャラリー ART ROOM SHOWL
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