志村けんさんと駅員AIロボットさくらに想う



志村けんさん、大丈夫じゃなくてビックリでしたね。

いかりや長介さんに「あれ?おまえ、もう来たのか。いま、一番いい時だろうに」

とか言われてそうで・・・

日本中の人たちが笑いころげ癒されたお笑いキングであり、人間国宝といっても
いいような人。100までも生きて欲しかった。ご冥福をお祈りします。



実は志村さんの逝去にあたっては、予感がありました。
最近のテレビで、いかりや長介さんとの確執や、元恋人の話題を、本人も出演して
番組化しているあたり、罪滅ぼしではないけれど、もう、オレ、いいかな・・・
といった達観した心境のようなものを感じていたので。まあ、そんなことは公言
できないけれど、入院後「持ち直して安定している」との知らせを聞いたときには、
逆に、あ、もう近いな、と。


で、みんながその逝去を悼む中で、こう言っては不謹慎ではあるけれど、

志村さん、もしかしたら、いい時にイッたのかもしれないなと。
そのわけは色々とあるけれど、一番は、志村けんに代表される、オゲレツで際どい
昭和的な笑いが、これからますます自重自粛されていく中で、
今が一番、注目され惜しまれながら逝けるタイミングだったのかもしれないと。


また、長い闘病生活の果てにではなく、目下、日本と世界を最も騒がせている
コロナでコロっというのも、志村けんさんらしい気がします。

だいじょうぶとはいかないこともあるから、死にたくなければ気をつけろよ、
と身をもって教えてくれたところもあるかのようで。



(変なおじさん/画像はネットよりお借り)



話は変わりますが、AIが人間に近づくにつれ、人間がAIに近づいているのを感じます。
つまり、以前は人間が、五感、六感をもって、全身で物事を受け止め感じていたのに対し、
AIの進化とともに、一層頭でっかちになってきているのではないかと。
結果、モノの見方や考え方が近視眼的になり、囲碁や将棋に例えれば、局所的には
正解であるかのように見えても大局で間違っており、勝負には勝てないという。

卑近な例でいうと、高輪ゲートウェイの駅員AIロボット”さくら”が、スリーサイズを
教えて、といった質問に対して「すみません、よく聞き取れませんでした。」と
受け流す行為を、「セクハラを受け流していいのか」と非難する人たちがいるという話。
これなどはまさに、AIのほうが状況に応じて受け流す、という高等戦術を
用いているのに対し、人間の方が狭量で、現在の法律やモラルに鑑みて許せない
といったような、機械的な反応を見せているという。



(AIさくらさん/画像はネットよりお借り)



つまり、何が言いたいかというと、「セクハラはけしからん」と糾弾するのは、
局所的には正論であり最善手のようだけれども、大局的にみた場合、
けっして最善手になるとは限らないということです。

これは、セクハラは容認すべしと言っているわけではなく、何事においても局所だけで
判断せずに大局を見てかからないと、方向を見誤る恐れがあるということ。
自分も周りの人たちも、よりハッピーになっていくためには、大局観が大事なんじゃ
ないか、ということです。


NEW WORLD ORDERの下、これからまた様々な天災人災を経ながら、
世界はますます、外れ者は許さない、正義と友愛とに満ち溢れた20世紀少年のような?
(表向き)キレイな楽園と化していくことでしょう♪
そうした中にあって、将棋大好き人間として、今後とも三手の読みとともに、
少しでもマシな方向に向かって歩を進めゆくための大局観を養いつつ、
この次元での余生をたのしんでイキたいと思っています。



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言葉の功罪

 

 

自分は言葉を信じないと言いながら、言葉の重みや力を

いつも強く意識し、感じている。言霊の力はデカい。

 

だから空虚な作品を書きたくないのと同じく、

空虚な言葉も吐きたくない。

もっとも、何が空虚で何が実のある言葉なのかさえ、

人それぞれの主観によるわけだが。

 

言葉により、人間は自分の思考を整理し、

未来を創造していくことができる。

また他者と想いや考えを分かち合うこともできる。
一方で、人を騙し傷付けることもできるわけで、

双刃の剣ともいえるだろう。

 
言葉には、物事をわかりやすく分類してくれる一方で、

人の感情や思考を制約してしまうところがあるように思う。
たとえば「ストレス」という言葉。
昔はストレスなど無かったのに、「ストレス」という

言葉が広まったことで、世の中はストレスだらけになった。
「セクハラ」もそう。昔はセクハラなど無かったのに、

「セクハラ」という言葉が広まったことで、世の中は

セクハラだらけになった。
「髪切った?」と聞いただけでセクハラ。

「〇〇ちゃん」とちゃん付けで読んだだけでも

セクハラになリかねない御時世だ。

 
十人十色の人間模様も、「それ、ストレスだよね。」

「それってセクハラだよね。」の一言で伝わるんだから、

便利になったものだ。
が、その言葉がなかった時代には、互いに心の

ヒダのようなものを感じ合い、駆け引きしながら

人間同士、付き合っていたわけで、便利さと引き換えに、

豊かな心情や語彙が、社会から次第に失われていって

いるように思われてならない。

 
大江健三郎さんの『 あいまいな日本の私』、ではないが、

曖昧な中にこそ、ほんとうの豊かさがあるのではないか。
現代アートもデュシャン以来、いまだコンセプチャル

アートが主流ではあるけれど、言葉では説明できない世界を

表すのが芸術であり、書芸もまた然りであると思っている。

 

 

 

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