存在感を問う〜追悼 津川雅彦さん 昭和偉人伝〜

 
 
昨夜テレビで『追悼 津川雅彦さん  昭和偉人伝』を見る機会を得た。
http://www.bs-asahi.co.jp/ijinden/
 
 
みなさんもご存知の通り、津川さんは「マルサの女」をはじめとした
伊丹十三監督作品の常連で、実に存在感のある名優。

 

番組のインタビューの中で、津川さんが、伊丹十三監督との出会いで
大きく変わったことを明かしていたのが印象的だった。
中でも一番は、セリフを臓腑に叩き込むことを学んだことだという。
伊丹監督のディレクションは細かく、「そこでネクタイを直しながら喋ってくだい」
といったことを突然言われる。そうすると、ネクタイを直す所作に気を取られて
セリフが止まってしまうのだが、それではダメ。
頭で覚えて喋っているうちはまだダメで、何をやっていてもセリフがスラスラ
出てくるようになるまで臓腑に叩き込むすべを、そこで得たのだそうだ。

 
 
それに続く津川さんの言葉が、またさらに印象深いものだった。
臓腑に叩き込むと、演技が軽くなるんです

つまりそれは、演技が自然体に近くなる、ということだろう。

 

「うまくやればいいってもんじゃない。結局は存在感なんです。
で、普段どう生きるか、日常をどう過ごすかで、存在感は出てくるんです。」
と津川さん。
対して伊丹監督は生前、「津川雅彦は自分がヘタだと思っているところがいい。」
と語っているあたりが、また面白い。

 
そして、それはまさに、書芸をはじめとしたあらゆる芸術、芸道に通ずるものである
と強く共感。
書は人なりの言葉通り、すばらしい書には、「おまえ、ここに居るねー」という
存在感が感じられるのだ。問われているのは存在感。
しかもそれは、「どう? ワタシ、キレイでしょ、上手いでしょ」といった
ナルシスティックな自意識、自我を超えたところで、ただそこに居る、在るという、
宇宙的な存在感だ。

 

 
いまなお師風の受け売りと枝葉末節的な筆技の競い合いに終始している

日本の書壇に、もはやそのような存在感ある書の出現は望むべくも無く、

書芸術の本道本質は、むしろアウトローたちによって受け継がれ生かされていることを、

津川さんの追悼番組を見て、あらためて感じた次第である。

 

 

 

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