樹木のこころ

 

 

今日はご依頼いただいた書芸作品の装丁のため新宿へ。

仕上がるまで時間があったので、久々に新宿御苑を散策する。

新宿御苑はSOGEN書芸塾ARCの野外アートワークを何度か

行ったこともある懐かしい場所。

すでに寒桜が満開で、来園者の目をたのしませていた。

60種1100本の桜があるというから、花見のシーズンには、

また大いに賑わうことだろう。

 

新宿御苑には多様な樹木があって見飽きない。

自分は兵隊のように行儀よく並べられた欧米の庭園よりも

日本庭園のほうが好きだ。

もちろん日本庭園も庭師が設計したものに違いないが、

日本庭園のほうが自然の在りように近い形で造られている

ところがいい。

物事を幾何学的にきっちり揃えるよりも、むしろ歪みや弛み

の中に美を見出す和文化の粋は、造園や建築はもとより、

書芸術をはじめとした芸術の中にも脈々と生きているのだ。

 

 

樹木を眺めながら、ふと思い出したことがある。

芥川賞作家で僧侶の玄侑宗久さんと、新幹線の中でご一緒

させていただいたときのこと。

宗久さんが「植物というのは、いわゆる五感が人間や

他の動物のように分化されておらず、統合されている

ことを思うと、生命体の在り方としては、その点では

植物のほうが上なのではないか。」

といったことを言われた。

その時は、オモシロイことを言うもんだ、くらいに思った

が、いま思い直すと、本当にそうなんじゃないかと。

 

樹木は、こっちに枝葉を伸ばしてみようか、こんどはこっち

にいってみようか、といった具合に、人間のように一々

考えながら生きているわけではなく、ただただ御天道様に

向かって自然に伸びていくばかりで、生命体として充足して

いる。ケンカもしなければ悪口も言わない(笑)。

 

 

 

 

もちろん、人間には人間の特性があり、樹木のようになる必要も

ないわけだが、自分はいつも、この樹木の在りよう、樹木の

こころもちというものに学びたいと願っている。

宇宙は巨大なものから微細なものに至るまで、すべてが樹形図を
基本として成り立っている、
という説もある。
川の枝分かれ、血管や神経細胞の枝分かれ、そして樹木の

枝分かれ等々・・・

 

自分にとって、書芸作品の制作は、その自然な在りよう、

宇宙自然の理法に、書芸をもって少しなりとも迫るための営み

(あがき)であるとも言えるだろう。

だったら樹木をよくよく眺めていればいいじゃないか、と思う

人もいるだろうが、眺めているだけでは得られないものがある

から書くのだ。

 

つまり、なぜ自分が筆を持って書くのかといえば、宇宙の理法

を全霊で感じたいからであり、人間である自分を通して現れ

出た未知の世界を、自分自身が覗き見たいからであり、また

それをもって他の人々と交感したいからなのだ。

 

そう思って、これまでの自分の書芸作品を見直すと、なんとも

線の枝分かれが多いじゃないか(笑)

一本の線をド〜〜ンと書いて終わり、も潔くてよいが、つい

枝分かれしたくなるのは、おそらく、だから、なのだと思う。

 

 

この学びとあそびには果てがない。

地球にいるうちに、果たしてどこまで迫れるか・・・

SOGENのアートは、その挑戦(あがき)の爪痕なのです。

 

 

SOGEN書『桜樹木図』/2012

 

 
 
書芸家SOGEN/平野壮弦 関連サイト
http://www.hiranosogen.jp/ (アートワークス)
http://www.hiranosogen.com/ (デ ザインワークス・レク チャー・パフォーマンス)

https://www.facebook.com/HiranoSogen/(FACEBOOK SOGENアートファンぺージ)

 

SOGEN書芸塾ARC
http://www.sogen-arc.com/